会社情報 鳥仙夫婦の奮闘記 鳥仙夫婦の奮闘記

独立してから今日までの、
七転び八起きの日々を包み隠さずお話しさせて頂きます

独立してから山あり谷あり。どん底も経験しました。
失敗と成功を繰り返しながらいろんな人に出会い、
助けられながら突き進んできました。
私たちが歩んできた軌跡を簡単にご紹介します。

鳥仙代表、金子敦史の生い立ち

昭和41年、台東区の下町に店を構えた「肉の鳥仙」の二代目の三男坊として生まれました。鳥仙は私金子敦史の祖父である金子仙之介が昭和元年に開業した鶏肉専門店で、地元の方々に親しまれていました。
初代の時は卸業だけでしたが、父の代で生肉や惣菜の小売を始めました。
中学生になると店売りを手伝うようになり、部活には入らず、学校が終わるとすぐに店でお肉を売っていました。まだ幼い私は、正直友達と同じように部活に入りたいと思った事もありましたが、根っからの商人気質の父に言われ、兄弟全員店売りを手伝っていました。

中学3年生になり、進路を決めなければならなくなった時、勉強が苦手だった私は、高校に行くか、働くか、とても悩みました。当時担任だった先生は、最後まで高校に行くように私を説得してくれていました。しかし、ほとんど心は決まっていて、早く社会に出て大好きな鶏肉に触れて、もっと知識を深め、腕を磨いて早く商売をしたいと思っていました。
そんな私を理解し、いつも味方でいてくれたのが父でした。
中学3年最後の三者面談の日、父は担任に言いました。「敦史は、勉強は苦手ですが、鶏肉屋の才能はあります。敦史には鳥仙の卸のお得意さんをあげるつもりです。」と。私は感謝と嬉しさで胸がいっぱいで、涙が溢れました。
こうして高校には行かず、鳥仙に入り、独立する日まで頑張り続けました。いつか独立して父に恩返しができるように。

28歳の時に結婚、そして独立

平成6年4月、28歳の時に妻の利江と結婚しました。それと同時に独立し、中学の時の約束通り、父は鳥仙の卸のお得意さんを私に託してくれました。浅草の老舗や大口のお客様を譲り受けた私は、父とお客様の期待に応えられるよう一生懸命に頑張りました。
新居も、父の言う通り、1階が仕事場でその上を住居にし、業者の人が納品しやすいように広い通りに面した家を選びました。
まだ右も左もわからない中、ただ父の背中を追いかけ、父の助言に力を借りる事で独立する事が出来ました。
妻と一緒に二人三脚で浅草鳥仙をスタートさせたのです。

鳥インフルエンザの流行

独立してからしばらくは、浅草鳥仙の経営は順調にいっていました。鳥仙本店でやってきたノウハウで、がむしゃらに仕事をこなしていました。
そんなある時、鳥インフルエンザがニュースで報じられ、鶏肉が売れなくなりました。この影響は凄まじく、鳥仙は大きなダメージを受けました。鶏肉一筋でやってきた私にはもうどうしていいのかわからず、鳥仙をなんとか立て直す方法をずっと考えていました。

インドカレーのラクシュミー

そんな時、当時お客様だったインドカレーのレストランで働いていたインド人のシェフが私に「一緒に仕事をしないか」と誘ってきました。鳥仙を立て直すために、藁をも掴む思いだった私は、インド人のシェフと手を組む事を決めました。店舗を持つのは資金も維持費もかかるという事で、妻のアイディアで、移動販売車でインドカレーを売る事にしました。ここからは波乱万丈な日々でした。始めた当初はかなり上手くいっていました。王様のブランチに出演したり、イベントに出ると大行列が出来たりと、今まで味わった事のない経験をたくさんしました。それと同時に移動販売車で同じ様に頑張っている方々と仲良くなったり、人脈も広がりました。
人と人との繋がりのお陰で、浅草松屋のデパ地下に出店する事もできました。
しかし、良い事があった後には良くない事がある。それが世の中の定めです。
インド人のシェフと意見の違いからうまくいかなくなり、シェフはインドに帰ってしまいました。その後は他の知り合いのインド人シェフに頼んで穴埋めをしていましたが、やはりうまくいきませんでした。気づけば経営が黒字に回復していた鳥仙の足を引っ張ってしまっていました。
しかし、その時すでに10年続けていたラクシュミーをやめる決心がつかないでいました。

税理士の菊地先生との出会い

そんな時、知り合いの紹介で菊池税理士事務所の菊地先生と出会いました。ここから一気に鳥仙の流れが変わりました。
まず初めに、財務状況が悪かったラクシュミーをやめる勇気を持つように言われました。「やめるのも勇気です。これは失敗ではありません。経験ですよ。数字を味方につけましょう」と菊地先生は私たちに教えてくれました。こうして、ラクシュミーをやめる事を決断しました。
やめてみたら、肩の荷が下りて、清々しさのようなものさえ感じました。良い経験も悪い経験もたくさんしました。人に騙されたり、裏切られたり。しかし、こんな私を慕って頼ってくれる人にも出会えたので、結果的にラクシュミーをやってよかったなと心から思いました。
菊地先生に出会ってから、「その行動は誠実ですか?」をモットーに、また鶏肉一筋で頑張りました。誠実な行動には誠実な結果が返ってくると信じ、今も日々精進しています。

失敗と成功から学んだ事と鶏肉に対する想い

菊地先生の言葉で一番心に響いたのは「成功の反対は、何もしない事。失敗は成功するまでの過程にあるものです。」という言葉です。どんなに苦しくても成功するその日まで諦めないで、誠実な気持ちで突き進み続ける事の大切さ。これが、私が学んだ事です。
今まで山あり谷ありを味わってきました。今までの全ての出来事が、今の自分に繋がっています。なので、その全ての出来事に感謝しています。そして、私と鳥仙を支えてくれている妻と従業員のみんなにも心から感謝しています。みんなのお陰で今の私がいます。大好きな父の背中を追いかけて、大好きな鶏肉に全身全霊をかけてきました。その結果、様々な経験をし、様々な素敵な人たちに出会う事ができました。鶏肉は、私の人生そのものです。祖父、父が繋いできたバトンを今、私が継いで、全力で駆け抜けています。鶏肉に対する知識と愛情は誰にも負けません。これからも感謝の気持ちを忘れず、より多くの人に私たちの自慢の鶏肉を食べてもらえるように精進していきたいです。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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